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![]() ![]() 夜のとばりがおりるころ、小瀬鮎之瀬橋付近の長良河畔では毎年5月11日から10月15日までの約5ヶ月間、古式豊かな鵜飼が繰り広げられます。この地で鵜飼が開始されたのは室町中期から後期(西暦1500年頃)のころのようです。そのころ、付近の鮎漁権を握っていた足立新兵衛らが始めたとも、大洪水を逃れて下流の岩田村から鵜匠が移り住んできたともいわれています。 ![]() 小瀬の鵜匠は、江戸時代の半ばには7人、幕末には5人ありましたが、現在では3人です。このため、市では小瀬鵜飼技法を無形民俗文化財に指定しその伝承、保護につとめています。小瀬鵜飼技法の保持者である鵜匠は、現在、足立幹郎鵜匠、岩佐昌秋鵜匠、足立太一鵜匠の3名で、宮内庁式部職に任命されています。式部職としての義務は、年に8回(6月〜8月の間に)の御料鵜飼をし、その日に捕れた鮎を皇室に献上することです。また、長良川鵜飼用具(122点)は、国の重要無形民俗文化財に指定されています。 ![]() 鵜飼の漁法の歴史はふるく、「隋書倭国伝」(636年)に日本の鵜飼についての記述があります。また、奈良時代の正倉院文書「御野国各牟郡中里」の戸籍に戸主の妻として「鵜養部目都良売」の名前が残っています。その後、中世までは日本各地で鵜飼は行われ、美濃を制圧した織田信長は、鷹狩り同様、鵜飼にも強い関心を示し、よく観覧したようです。鵜飼漁を業とする人に「鵜匠」の名称をあたえたのは信長であるともいわれています。 江戸時代には全国的に鵜飼は少なくなったようですが、小瀬、長良の鵜飼は幕府や尾張藩により特別に保護され、伝統的な漁法を保ったまま現在に至っています。 ![]() ![]() |
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