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関の孫六 関鍛冶の起源は鎌倉時代に九州の刀匠「元重」がこの地に住み着いた時点に求められていますが、さらに平安時代にさかのぼる可能性も指摘されています。 いずれにしても700年以上の伝統が、今日の関市の刃物産業の基礎になっています。 特に日本刀は、大和、山城、相模、備前とともに、「美濃伝」と称され、室町末期には備前長船と双璧をなすほどの隆盛を誇りました。南北朝時代から室町時代の刀剣需要が高まる中で、「関七流」といわれる「善定」、「室屋」、「良賢」、「奈良」、「徳永」、「三阿弥」、「得印」の七組織がなされました。各派が互いに技術を競う中で、「折れず、曲がらず、よく切れる」という実用を目的とした「関伝四方詰」といわれる特色ある鍛刀技法を生み出し、美濃伝の魅力ある鍛刀技法を確立してきました。 明治の帯刀禁止令により刀の需要はまったくなくなり、刀匠が廃業したことにより、関のみならず、全国で日本刀製作技術が途絶えてしまう危機に瀕しました。 こうした状況を憂えた刀匠やその子孫たちが復興に奔放し、明治43年に小坂金兵衛兼吉刀匠が中心になり、刀剣鍛錬所を設立し、刀剣技術の伝承に努めました。 兼吉刀匠の弟子である渡辺兼永刀匠は、明治に入り日本刀鍛錬塾を興し、多くの刀匠を育て、このことが戦前の日本刀作刀の隆盛につながりました。 この日本刀鍛錬塾で美濃伝の日本刀鍛錬技法を身につけた刀匠たちは、昭和30年ごろから日本刀の作刀技法を後世に伝承しようと作刀を開始し、技術の研鑚に励むとともに後継者の育成に努力しました。このころの刀剣は日本を代表する美術工芸品として高い評価を受けることになりました。 現在は関市を中心に、18名の刀匠と修行中の数名の若者により刀剣技術の保護と伝承に努められています。 関市では刀匠の他に研師、鞘師、柄巻師、白銀師、塗師などの刀剣関連技術者や日本刀を愛する人々からなる愛刀会の方々が一同に集まり、「関伝日本刀鍛錬技術保存会」を作り、鍛錬および研磨外装技術者の育成、資料の収集、保存対策などをおこなっています。 平成9年7月29日には「美濃伝日本刀鍛錬技法」が岐阜県の重要無形文化財に指定され、関市の刀匠で金子義元刀匠、藤原兼房刀匠、大野兼正刀匠、後藤兼成刀匠、小島兼時刀匠の5名が保持者として認定されました。 |
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